履物を揃えていますか?
本日も今まで得てきた学びを記事にして皆さんのお役に立てる様、分かち合いをさせて頂きます。
履物を脱ぐとき揃えていますか?
親が揃えない家庭では、恐らく子供も揃えることはないでしょう。
「揃える揃えないのは勝手だろう」と言われるかもしれません。
確かに勝手です。
しかし、よそ様のお宅等を訪問した際に玄関に履物が散乱していたらどう感じますか?
自分の家庭も同じだと気にならないかもしれませんね。
でも、自分の家庭でのことは意外に気付いていなくても、よそ様の散乱した状態をみると「なんじゃ!ここの家は」と思ってしまうこともあるかもしれません。
何が言いたいかと言いますと、こんな状態は一般的には評価は下がるということです。
禅語に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。
これは「自分の足元をよくよく見なさい」という意味で、言い換えれば「我が身を振り返れ」ということです。
禅宗では「履物の脱ぎ方にその人の精神状態が表れる」とも言われています。
つまり、履物を揃えられないのは『心が乱れている』証拠なのです。
履物が揃えられるのは『心が整っている』証拠なのです。
以前にも何度かご紹介致しましたが、再度ご紹介しましょう。
長野市の円福寺の住職だった藤本幸邦先生の「はきものをそろえる」という詩があります。
「はきものをそろえる」
はきものをそろえるとこころもそろう
こころがそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心もそろうでしょう
履物だけでなく揃えるということは、心に余裕がうまれるのだと思います。
「靴を脱ぐときに揃える時間があるか!」と言っても今度靴を履くときは揃っていなかったら「靴を履いてる時間があるか!」とは言わないですよね?
心に余裕がないと、ミスをしたり人を不快にさせたりマイナスな言動が増えてくると察します。
また、揃える習慣がつくと、揃っていないものを見ると気付き揃えてあげる行動につながり、他人への思いやりの心が育ってくると思います。
「履物を揃える」ことは何てことはないのですが、小さい頃に教わる沢山の中のひとつだと思います。
「小さい頃に教わる沢山のこと」とは、子供がこれから生きていくために必要な一般的に知っておいて当たり前という「常識」と言われることだと思います。
それを、年を重ねるごとに実行しなくなるのは何故でしょうか?
「知ってる」からやらなくてもいいのではありません。
知ってやらないのは「知らない」のと同じなのです。
では「知っている」のに何故やらないのでしょうか?
それは心に余裕がないからではないでしょうか?
何でもないことをちゃんとやっていれば、見る人は見ています。
そのことで、人生が変わることもあるでしょう。
これも以前にご紹介したお話しですが、再度ご紹介しましょう。
お見合いの席でのことです。
紹介者の家でお見合いをすることになり、男女共に両親同伴での出席。
ほぼ同時に到着されたので男性側に先に上がってもらったそうです。
両家席につき、紹介者が挨拶をされたあとに女性側の父親が「この縁談を是非進めてください」と仰ったそうです。
続けて「靴を揃えらる家庭に育った方なら何もいうことはございません」と言われたとか。 靴を脱ぐときに揃えるか揃えないかは、ほんの数秒の違いです。
もしも「そういえば揃えていないな」という方は是非実行しましょう。
自分の履物が揃えられるようになれば人の履物を揃えてあげましょう。
トイレのスリッパが散乱していたり、飲食店の座敷席の前に靴が散乱している光景を目にしませんか? そんな時も揃えてあげましょう。
きっと心が清々しくなることでしょう。
本日はここまでに致します。
今日もみなさんに沢山の幸せがやってきますように!
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最後まで読んで頂き有難うございました。
本日の記事が皆さんのお役に立てれば幸いです。
本日は、これで失礼致します。
ありがとうございました。
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