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代表社員
経営コンサルタント
講演家
幸せ案内人
心覚士
藤 井 孝 幸
【略 歴】
昭和43年(1968年) 広島市で出生 (父の勤務地)
昭和48年(1973年) 山口県宇部市に帰る
当家藤井家先祖は、山口県下松市米川の出である。
祖父は(次男で分家初代)結婚後下松市から宇部市に移住。
平成3年(1991年)3月 学校法人上野学園 広島会計学院 卒業
平成5年(1993年)1月 2社転職後 宇部経営コンサルタント事務所 入所
令和元年(2019年)5月 日本の古き良き心を目覚めさせる『心覚塾』を開塾
令和元年(2019年)5月 幸せプログラム『はた楽』を考案
【取得資格】
平成3年(1991年)2月
第8回神社検定 弐級・三級
【幸せ案内人を名乗るまでの道のり】
ご理解頂くために、あえてご紹介させて頂きます。
7歳で、般若心経を覚える。
11歳の時、父の経営コンサル関与先樣の関係からお不動樣と出会い信仰が始まる。
ここから長きに渡り見えない世界のことをお不動樣を通じて教わり色々なことを目の当たりにしたり体験していく。
それが後々「先祖供養」や「徳積み」等につながる。
この頃から「もっと上手に生きていけないものか」と悩み始める。
思春期になり、もっと上手く生きられないかと占いにはまる。
17歳で六星占術に出会い更に占いにはまる。
25歳で家相と出会い勉強する。
41歳で子供の諸問題から色々模索する中で「片付けで人生が変わる」と知り実践する。
その後続けて、おそうじ風水・風水・バグア風水と出会い色々試す。
43歳で「神樣はキレイな場所に降臨する」と知り、平成24年3月より朝晩玄関・トイレの掃除を始める。
1カ月後、4月の健康診断で毎年心電図のないコースを受けていたがその時は何故か心電図がしたくてコースを変更。
結果は再検査・心エコー。再検査の結果は、心臓の1/3が動いていないといわれる。
心臓バイパス手術(内胸動脈で冠動脈バイパス術)を受け命拾いする。
3本の冠動脈のうち2本はおおかた塞がっていたようで、後の1本も狭くなっていた様子。
そうじのお蔭で神樣が降臨され、命を救ってくださったのだと、今でも思っている。
それまで、世の中の色々なことを悪く言ってきたが、その後は人が変わったように悪口をほとんど言わなくなった。
玄関とポストを掃除すると情報が入ってくるということからか、それから「徳積み」「先祖供養」と立て続けに出会いがあり実践する。
この頃に、ある運勢鑑定士の先生と出会い「これらのことを人に教えることをするといい」と言われるがこの時点ではその気は全くなかった。
そんな時、ある宮司の書籍を読み、衝撃をうけ「神道」を勉強。
今までやってきた「そうじ」「徳積み」「先祖供養」が全て「神道」からのものであると知る。
更に、墓相家の先生や別の神社の宮司との出会いで「家系因縁」「先祖供養の方法」等を学ばせて頂いた。
それからは、著名な方々の書籍等を読みあさり、何故こんなに人生がうまくいかないのかがはっきりし、また今までやってきたこと、考えてきたことに間違いないなと自信が持てるようになりました。
戦後GHQの政策から教育がガラリと変わったことで、両親や先祖代々から遺伝子を通して受け継がれている「日本の古き良き心」が眠ってしまっていると知る。
この心を伝えるべき側の祖父母や両親も、教わる側の子供達の意識も薄れてしまって、現在では「日本の古き良き心」の大切さが伝わらなくなってしまっています。
その心を目覚めさせないと個人の人生も会社の経営も衰退してしまいます。
神道を学び「そうじ」「徳積み」「先祖供養」等を習慣化させることで「日本の古き良き心」が覚醒し、個人差はありますが家庭、職場、学校、経営の諸問題が解決して行けるでしょう。
概略以上のような経緯から、中小企業の皆樣の業績安定・企業再生のお力になれればと、また個人の方々にも喜んで頂くため・今の幸せに気付き益々幸せになって頂くために、「日本の古き良き心を目覚めさせる『心覚塾』」という塾を開塾し、眠った「日本の古き良き心」を目覚めさせるためのプログラム「幸せプログラム『はた楽』」を考案した次第です。
【心覚士とは】
弊事務所が運営する「日本の古き良き心を目覚めさせる『心覚塾』」の認定資格です。
詳しくは、トップページから【心覚塾】にお入り頂きご覧ください。
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