神棚参りや先祖供養に戸惑っている方へ


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神棚参り・氏神参り・一宮参り、先祖供養と聞いて戸惑っている方がいらっしゃるかもしれません。

決して、特定の宗教の勧誘ではありません。

前ページでも説明させて頂いていますが、昭和20年の終戦を境に教育や制度が変わったことで、それまでの普通に行われていた日本の習慣が徐々に変わってしまいました。

その中でも、終戦以前はほとんどの家庭に神棚・仏壇があり、朝晩神棚に手を合わせ神樣に感謝をしてご加護を頂き、仏壇にも朝晩手を合わせてご本尊とご先祖樣に感謝をして見守って頂いていました。

先祖供養は「本家や両親や跡取りの長男がやっているからやらなくていいでしょ」と言われる方々がありますが、これはお墓や仏壇を守っていくことや法事を執り行うことと意味を取り違えていると思います。

また、ご先祖樣は本家・両親・長男だけのご先祖樣ではありません。

次男であろうがその家に生まれた人のご先祖樣です。

『ご先祖樣あっての自分』ということをもっと意識して頂きたいと思います。

そして昔から日常的に普通に行っていたことを、また習慣化してご加護を頂きましょう。

その日々の習慣から、手を合わせるという行為、また神樣・ご先祖樣に向き合うということから「感謝」「敬う」という心が備わり人に優しくなれるのです。

昨今は、この心が薄れているので、これを目覚めさせることで、色々なことがスムーズに動き出すのです。

成功者や占い師の先生、自己啓発系の先生方も神仏ご先祖樣に手を合わせる大切さを説きお勧めされています。


宗教団体等の事件などで「宗教」のイメージが良くないかもしれませんが、本来「先祖供養」は宗教とは別ものなのです。

釈迦が説いた仏教には「先祖供養」という概念がなく「どうすれば幸せになれるか」「どうすれば成仏できるか」ということを説いたものなのです。

インドから中国に仏教が伝わり、中国の「儒教」の教えの中の「祖先崇拝」を仏教に取り込んだものが飛鳥時代に日本に伝わりました。

日本では仏教が伝わる前から、人が亡くなると神樣になるという考え方があり、ご先祖樣を祀るという信仰があったのです。

つまり、仏教伝来以前に先祖供養というものが存在していたということです。

だから、日本人は宗教は信じないけれどご先祖樣は大切にしなければならないという思考を持った方が多く、それは太古の昔からご先祖樣や両親から脈々と遺伝子で受け継がれているからなのです。

是非、宗教だと嫌わずに受け入れて頂けると嬉しいです。



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